書評・春風亭柳太郎(落語家)
富田富士也著 『「いい家族」を願うほど子どもがダメになる理由』(ハート出版)
*『教職研修』(教育開発研究所)2009年6月号
 落語には「ヤならよしねぇ」という言葉があります。芸人が好きで入ったこの世界、 「嫌なことを何でやってるの?やらなくてもいいんだよ」という反問が、この言葉には込められています。
  もう一つ、かの五代目古今亭志ん生師匠が好きだった言葉で、「なるようにしかならねぇ」という言葉があります。現実で起こったことをありのままに受けとめようという、若い頃、不器用な生き方で辛酸を嘗めた志ん生師匠らしいせりふではないでしょうか。どちらも一見ネガティブな人生訓で、こんなものが一般社会で受け入れられるとは思いません。しかし私は、こうした言葉を聞くとなぜか心が軽やかになるのを感じます。富田富士也先生の最新刊『「いい家族」を願うほど子どもがダメになる理由』を読み終えて、フッと浮かんだのがこれらの言葉でした。
  この本に出てくる感受性の強い子どもたちに、これらの言葉を投げかけてあげられれば、どれだけ気が楽になることでしょう。富田先生は、これらの言葉を子どもたちに直接言うのではなく、子どもたちの気持ちを感じ取ることによって同じことをやっているのです。
  数年前、富田先生と初めてお会いして以来、いろいろと話しているうちに、落語が本当に好きで、研究の対象としていることがわかりました。カウンセリングと落語…まじめとふまじめ、水と油のようなこの二つのジャンルの、いったいどこに接点があるのか私は腑に落ちませんでしたが、この本を読んで、その意味合いがわかったような気がします。
  私が噺家になって学んだのは、「考えるより感じろ」ということです。もちろん噺の構成や噺家としての身の処し方など、理詰めで考える場面も多いけれど、まず第一に表現者としてさまざまなものを感じ取らなければ、内容の豊かな落語を演じることはできません。
  われわれ噺家は、舞台のイメージから「おしゃべり」だと思われているようです。確かに商売上、しゃべるときはしゃべりますが、普段はむしろ口数の少ない人が多いくらいでしょう。私はときどき、ネタを拾う意味もあり、電車内、ファミリーレストランといった人が大勢いるところで、目をつむって耳を澄ますことがあります。そうやって感じとろうとするとさまざまな人たちの会話がホワッと耳に入ってきます。OLやら大学生やら会社員やらおばさん連中やら、そこでいかに多くの人生が展開されていることか!もしもそのとき、私が誰かとしゃべっていたら、会話は耳にははいりません。「感じる」ということは噺家、いや表現者すべてにとって、呼吸をするのと同じくらい大切なことなのです。そしてそれは、カウンセラーの方々にもあてはまるということが、この本を読めばおわかりいただけると思います。
  私がこの本で一番惹かれるのは、三章の実例集です。ここで富田先生は身体を張って、ときには喜び、ときには怒り、ときにはクライアントと一緒にボヤきながら、全身で対象を感じとっています。そしてここがすばらしいのですが、この実例集には、カウンセリングの結果が出ていません。たとえば不登校の子どもが学校に通い出したようにつけ加えでもすれば、ハッピーエンドなのかもしれませんが、それこそ成果主義に毒された結果だと、先生は暗に示唆しています。
  大切なのは、お互いがわかりあえた瞬間なのではないでしょうか。それさえあれば、人は生きていけるような気がします。「なるようにしかならねぇ」のですから。